グランドホテル仙台は電力ビルの竣工とともに、7階~9階の南側部分に開業。客室は76室。結婚式場と宴会場、260名収容の大食堂、スナックバー、ラウンジ、理髪室などを完備した第1級のホテルでした。
当時、仙台で外国人の宿泊できるホテルは仙台ホテルと青木ホテルの2軒のみで、内外の賓客を誘致できるような宿泊施設をつくることが急務であるという時代の要請を受け、電力ビルが完成した昭和35年8月4日の翌5日、仙台七夕の前日に賑々しくオープンしました。
創業3年目の37年には、初めて皇族のご宿泊を賜り、さらに翌年には昭和天皇、皇后両陛下、そして47年には皇太子、同妃両殿下のご宿泊を賜るなど、タイ国王妃をはじめ多数の内外著名人のご用命を得る光栄に浴するホテルに格づけされていきました。
この当時は、仙台のホテル産業全体として、ホテル数、客室数ともに少なく、予約がとれない状況が続いていたこともあり、業績は順調に推移していました。
しかしその後、東北新幹線開通後に照準をあわせた新規ホテルが次々とオープンし、仙台における第1次ホテル建築ラッシュが始まりました。昭和49年から50年にかけて、ホテル江陽、ホテル仙台プラザ、ホテルリッチ、ホテルサンルートが開業。これによりホテル不足は解消したものの逆に供給過剰となり、室料のダンピング合戦がはじまったのです。
そして昭和53年には、中央資本の進出による第2次ホテル建設ラッシュが起こり、東急ホテル、三井アーバンホテル、第2ワシントンホテル、宮城第一ホテルがオープン。豪華かつ大型のホテルが続々と新築されるなか、グランドホテル仙台はダンピング合戦の余波を受け、50年度からは稼動率も低下し、厳しい経営を余儀なくされました。
昭和51年には、大宴会場、結婚式場、売店などを廃止し、規模を縮小して8、9階のみで再スタートしましたが、かねてから存廃について慎重に検討してきた結果、創立の主旨はすでに達成されたとして、昭和58年遂に撤収することを決定いたしました。創業以来23年で50万人を超える客を送迎し、天皇・皇后両陛下のご宿泊を賜るなど、華やかな実績を誇ったグランドホテル仙台は、東北の国際観光ホテルの先駆的役割を果たし終え、その歴史に幕を下ろすことになったのです。
そして昭和58年3月31日、グランドホテル仙台は22年余の歴史にピリオドを打ちました。