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晩翠草堂

日本の唱歌で戦前海外にも知られた曲の一つに「荒城の月」があります。滝廉太郎の名作曲とあいまって
世界的不朽の名作となったこの曲の作詩者が、土井晩翠です。
明治三十二年に処女詩集ながら詩壇における地位を決定づける「天地有情」を発表。その後も「荒城の月」
をはじめ多くの名作をのこし、島崎藤村とともに日本近代詩の創始者といわれています。
晩翠草堂はこの晩翠が昭和二十七年に亡くなるまで暮らしていました。戦災に続いて八枝夫人を失い、中野好夫の夫人であった娘さんを亡くし、中野家から養子をもらいました。昭和二十五年に文化勲章を受賞、仙台市名誉市民の一人です。
土井 晩翠
どい・ばんすい(1871~1952)仙台出身の詩人・英文学者で本名は土井林吉(つちいりんきち)。代々続く質屋の跡取でしたが文学好きであった父の影響を受け、文学の道を志します。第二高等学校、東京帝国大学英文学科と進むかたわら、作詩を続け、東京音楽学校の依頼に応じ名曲「荒城の月」を作ります。その後、仙台に戻り二高教授となってからも数多くの詩集や随筆を発表。全国200校を超える校歌の作詞も手掛け、翻訳家としてもホメ-ロスの「イーリアス」「オヂュッセーア」をギリシア語原典から全訳する偉業をなし遂げています。
晩翠の晩年
晩翠は昭和に入ってから相次いで子に先立たれ、八枝夫人を失い、さらには戦火で3万冊以上の書籍とそれまで住んでいた居宅を失いました。
この苦境に対し晩翠会の人々が発案、新たな居宅を建て、これを送りました。これが「晩翠草堂」です。晩翠は教え子達が建ててくれたこの草堂で晩年を過ごし、満80歳の生涯を閉じました。
現在でも当時のありのままの居宅を残し、今では入手困難となった著書はもちろん、晩翠が愛用したベッドや下駄など身の回りのものを多数展示しています。
改名を宣言した随筆
「雨の降る日は天気が悪い」

この冒頭で名字の読み方を「つちい」から
「どい」へ変更することを宣言している。
装丁は岡本一平(1886~1948)による。
一平は世相風俗漫画で一世を風靡した漫画家。妻は小説家の岡本かの子、長男である岡本太郎は画家・彫刻家として活躍しました。
晩翠が好きだった酒にちなんだイラスト。よくみるとひっくり返った盃がカサになっているのがおわかりでしょうか?
 
入館料
無料
営業時間
9時~17時 (12月~1月は16時)
月曜日・年末年始は無料
お問合せ
晩翠草堂 宮城県仙台市青葉区大町1-2-2
TEL 022-224-3548