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>第四話/海外アーティストが続々公演
翌37年になると貸ホールの稼動数が徐々に増え、特に定期的な発表会を催す常得意も増加し、ことにクラッシックバレエ、古典日本舞踊は電力ホールのみで開催されるようになりました。
昭和39年秋には、世紀の祭典・東京オリンピックが開幕。日本中が湧き上がり、その予熱がまだ続く昭和40年には、東京オリンピックの記録映画が完成。電力ホールでは市内映画館の要請により、約45日間、市内小・中学校の鑑賞の場となりました。
この東京オリンピックを境に、芸術関係においては海外交流が激増。世界各国の著名アーチスト演奏公演が続々と開催されるようになってきました。電力ホールもその例外ではなく、開設当初の年間使用日数が79日(内、自主事業29日)であったのに対し、10年後の45年には182日を数えるほどになり、国の内外を問わず芸術家の活動が活発化し、観賞する側も広く多様化していきました。
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